朗読者2
「朗読者」を読み終えた。
映画を見たときは、まったく誤解していたことがあった。
ハンナが収容所の看守をしていたのは、主人公と、別れたあとと思っていたのだが、
そうではなかった。
ハンナと会ったときは、もう、戦後で、ハンナが収容所で看守をしていたのは、
二人が出会うずっとまえのことだったのだ。
我ながらいい加減に見ているのにはあきれる。
映画を見てからもずっと疑問に思っていることがある。
それは、この話が本当にあった話かどうかということだ。
確か、新聞の書評で、本当にあった話と、書いてあった気がするのだが、定かではない。
主人公の少年時代の経験をもとに書かれた。としている記述もweb上で、見つけたが
果たして真実なのだろうか。
作者のベルンハルト・シュリンクは、1944年生まれで、ハンナは1922年生まれという設定になっている。
年齢もぴったり当てはまっているし、1960年代に実際にナチスの看守たちの裁判があったということだ。
それから次の疑問は、主人公は、ハンナの無期懲役の判決を救うために何かできたのではないか、何かすべきだったのではないかということだった。
この判決は正義ではないとわかっているのに、どうして何もしなかったのだろう。
本では、「ハンナにとっては、正義は、どうでもよかった。」と書かれていた。
「ハンナ自身が自分の秘密が白日のもとに、さらされることより、無期懲役を、選択した。」
という事実を変えることは、他人にはできないと考えたのだ。
法律学者の、教授と話をして、彼女のことは、このままでよいと考えが落ち着いてきた。
この辺のところは映画よりも、本のほうが理解しやすいが、それでも、すごく不条理に感じられる。
ほんとにそれでよかったのだろうか。
どうにもできなかったからこその悲劇なのだろう。
すっきり、割り切れる人生なんて誰にもないのだろうと思う。
ほんの裏表紙に、「胸を締め付けられる残酷な愛の物語。」とかかれている。
愛は不条理?、愛は残酷?どこかで聞いたような言葉だ。
またこのようにも書かれている。
「肉親や愛するものがナチスだった場合、その人も罪ある者となるのだろうか。」
本の最終章は、次のような書き出しになっている。
「いつのまにか、あれから十年がたってしまった。
ハンナが死んで間もないころは、昔の疑問が僕を苦しめたものだった。
ぼくはハンナを裏切ったのだろうか。ぼくはハンナに借りがあるのだろうか。
ぼくは彼女を愛したことで罪ある者となったのだろうか。
僕は彼女の思い出から離れるべきなのだろうか。
どうやって離れたらいいのだろうか。
ときおり僕は、彼女の死の責任も自分にあるのかと考えた。
そしてときには、彼女に対して、また彼女が僕にしたこと対して、腹を立てた。
怒りが力を失い、問いが意味をなくしてしまうまで。
僕がしたこと、しなかったこと、彼女が僕にしたことーーー
何であれ、今ではそれが僕の人生なのだ。」
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